ASSOCIATION吉野川市文化協会
吉野川市文化協会のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。 私たちの吉野川市は、平成16年10月1日、平成大合併の先陣を切って麻植(おえ)郡4ヶ町村(鴨島町・山川町・川島町・美郷村)の合併で誕生した市で、徳島市から20Km西に寄った、吉野川の南岸に位置する市です。人口は45,000人。自然は豊かであり、「阿波富士」と呼ばれる高越山山頂近くには、国の天然記念物の『オンツツジ』があり、その渓谷には、天然記念物指定の『ほたるの郷』があります。また、吉野川の南岸には、国の名水百選に選ばれている『江川の湧水源』もあります。この地は、古くから拓けた土地であり、忌部(いんべ)族を中心に古代より文化活動は盛んでしたが、現代に通じる文化は江戸時代に起こっているようです。 吉野川の肥沃な土地で「藍」が栽培されました。その藍を加工した「?(すくも)」と言われる藍玉を、全国に販売した豪商達が接待客をもてなす芸として始めました。その後盛んになった「製糸産業」で栄えた旦那衆が町民とともに習い始め、広めたのが吉野川市文化活動の原点と言われています。これらのことは、先人によって遺された有形無形の文化であり、その質を更に高め、吉野川市民の心の豊かさに繋いでいくことが、現在を生きる私どもに課せられた努めでないかと考えます。 私たちは、特定非営利活動法人吉野川市文化協会を設立し、吉野川市における豊かな芸術文化の伝承・創造と普及発展を図るため、市民講座や文化講演会を始めとし、子ども対象の施策など多彩な企画を推進して、市民の文化的な生活に寄与することとしております。私たちの活動に対するご指導、ご助言をよろしくお願い致します。
特定非営利活動法人 吉野川市文化協会 理事長 野田 賢
吉野川市文化協会の沿革
吉野川市に於ける文化活動の変遷
○藩政時代 | 和歌、俳句、川柳、狂歌などのグループ活動の記録あり (藍商人の旦那芸として相当盛ん) 人形芝居と浄瑠璃の観劇・・・人形座の形成 |
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○明治以降 | 和歌、俳句、浄瑠璃が民衆へ 人形座の結成(明治時代・・・吉村武一郎、高橋巴竜) (大正~昭和・・・深見巴龍、小巴龍親子) |
○昭和後半 | 戦後の主な文化グループ(昭和24年ごろ) ・野人の集い ・青年文化部 ・七曜川柳会 ・詩吟会 ・青柳会 ・花柳会 ・四国芸術座 ・文学研究会 ・音楽研究会 ・書道研究会 ・朴人会 ・箏曲清流会 他 |
吉野川市文化協会の誕生まで
旧川島町では、どんぐり川柳会などが中心となって、昭和35年11月、川島町文化協会(会長・川村啓介)を発足させた。翌36年2月11日、文化協会主催で第1回文化作品展を開会した。旧鴨島町文化協会は昭和61年11月29日、深見良雄を会長とし、会の目的を「明るく豊かな町づくりのため、町内における文化団体及び会員の相互連絡、強調を図り、文化の伝承、創造、普及発展と町民の豊かでうるおいのある生活の向上に資することを目的とする。」とし発足した。発足当時は、団体会員27団体、個人会員47名団体会員は鴨島こども劇場(530人)、日本舞踊、剣詩舞、詩吟、民謡、コーラス、大正琴、写真、洋画、日本画、俳句、川柳など多彩であった。翌62年度には、第1回総合美術展開催、63年度には邦楽まつり開催、大正琴、箏曲、民謡、尺八、義太夫の75名が出演した。旧山川町、旧美郷村では文化協会が結成されていなかった。
NPO法人 吉野川市文化協会の誕生
平成16年10月1日、麻植郡が吉野川市となった翌17年4月17日、鴨島町文化研修センターで、鴨島町文化協会の解散式の後、吉野川市文化協会の設立総会が開催された。その後、吉野川市文化研修センターが、民間委託の行政施策となったため、それを受ける条件を整えるために、文化協会は特定非営利活動法人(NPO)設立を申請し、平成18年3月9日、県より承認許可を頂き、法務局への登記を完了した。県下で初めて法人格を持つ文化協会となった。